【感想】村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』


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村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』新潮社、2010年。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの「世界の終わり」を聴きながら読み返していた。(作品が楽曲のモチーフになっているという噂は本当なのだろうか?)私は好きな小説を訊かれたらその一つに本作を挙げる。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』。

村上さんの小説で度々登場する、二つの世界の交錯。この作品でも「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終り」が交互に描かれ、やがて重なっていく。象徴的なアイテムが度々登場して、リンクを強調する。一角獣、頭骨、ペーパークリップ、ええと、あとなんだったかな。何にせよ、上下巻を並べると一つの絵になる新潮文庫版の表紙だとか、「世界の終り」の中でもなお「僕」と「影」が分かれているところなんかも、「二つで一つ」を象徴しているようでいいなあ。

〜ここからネタバレありき〜

計算士の「私」も夢読みの「僕」も、自分があくまで装置のような役割でしかないことを痛感していた。(それぞれ条件なしには担えない専門職で、「誰にでもできる」わけではないが…。)でも「私」は、記憶があり、自我があるからこそ仕事以外の趣味や、退職後を楽しみにできたのである。「僕」の方はとにかく自分や世界について意義をずっと考え続けねばならなかった。

「影」は「僕」が答えに辿り着く前に外に連れ出そうと懸命だった。光と影は表裏一体のはずなのだが、「僕」が完全に光を直視できる瞳を取り戻したとき=夢読みをやめるとき=影が消滅するとき、というのは不思議なことだ。光しかない、(一見)完結した世界が人の中核、「世界の終わり」なのかもしれない。

東浩紀さんが随分前におっしゃっていた、村上春樹さんがセカイ系の大元、という話にはものすごく納得する。そういえばアニメ『神様になった日』も、世界が終わる=(一人の)ある世界が終わる、という種明かしが一つの鍵になっていて、本作とかなり似ている。「世界の終わり」が指す「世界」の規模感がクライマックスで一気に縮小するのだが、その頃には受け手はすでに登場人物とずいぶん馴染んでいて、消えるのが一人であることにむしろ大きな喪失感を覚えるのではなかろうか。

なあんて。今日はここまで。久しぶりの更新となりました。新しい生活が始まる方も、これまでと変わらず過ごされる方も、皆が健やかに春を迎えられますよう。

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