内田百閒「花火」『ちくま日本文学001 内田百閒』

内田百閒「花火」『ちくま日本文学001 内田百閒』筑摩書房、2007年。


文庫¥968(2021/04/19現在)

ちくま日本文学の全集を順番に読んでいこうと思って図書館で借りてきた。しょっぱちから短いのに癖が強い作品だと思った。幻想なのか現実なのかよくわからない、作中の世界観に幽閉されそうだ。

気になった箇所について調べてみる。

11頁

牛窓:岡山県瀬戸内市の地区。とある観光サイトによると「日本のエーゲ海」と呼ばれているそう。

蘆(あし/よし):水辺に生えるイネ科の植物。形はススキに似ている。茎をあむとすだれになる。

12頁

恠しく:「怪しく」の俗字。

花火が〜揚がった:「空中に浮かぶ花火の様子に視点を置いた表記」だと、「揚」になる。 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/shoiinkai/iinkai_04/pdf/shiryo_2.pdf

13頁

海の蝙蝠:海蝙蝠という妖怪がいる。「普段は竜宮城の門に巣をつくって住んでいる妖怪。たまに海上に出没する。」 https://n-kiyakou.sakura.ne.jp/Nkiyakou/umikoumori.html

※この物語自体、どこか「色欲の闇版・浦島太郎」のようなものを感じていたので、一人でうれしくなった。全体的に赤い色使いもその証拠だと思っている。

14頁

砂川:岡山県の鬼城山の山間から流れる川。鬼城山は桃太郎ゆかりの地だとか。

カンテラ:手提げ式の燃料照明。

15頁

手水鉢:もともとは神様や仏様の前で口を濯ぎ身を清めるもの。今では茶道でも用いられる。

 

結末まで読んでそこで終わり??と続きを欲しがってしまったのだが、解釈をどうしたものか…

「私」は土手にいた。突然現れた「女」に当然の如く「御一緒にまいりましょう」と言われ、なぜかついていってしまう。途中何度もデジャヴを感じている。「女」の方はただ「土手の上で夜になると困りますから」、花火の火で「今にここいら一面に焼けて参りますから」、「土手は浪にさらわれてしまいました」と理由を並べて、男をついてこさせようとする。(途中見せていた涙は本物なのだろうか。)夜が追ってきて、花火が揚がって、蘆が燃え上がる。気づけば廊下に入っていて、座敷に着くと「女」は「浮気者浮気者浮気者」と「うなじに師嚙みついた」。(急に動きが激しいな)

丸屋には2つ思いつく。「私」は本当に(多かれ少なかれ)浮気をしていて、それを記憶から追いやってしまっていたのか。あるいは「女」が一方的に「私」を好いていて、気持ちが行き過ぎ、恨んでいたのか。いずれにしても、女は生き霊を飛ばすほどの強い怨念を持っているか、既に死んでいる。

前者なら、終盤襟足をきっかけに以前会ったことがあることを思い出すシーンでもっと具体的な出来事を思い出しそうなものだが、ついついていってしまうのは潜在的な罪悪感の現れかもしれない。「女」が怒りをぶつけるのは、「私」のそうした都合の良いところにかもしれない。最後に「女」がわんわん泣いたのも、ここまでしてもなお自分との時間を思い出しもしないという悲哀ではないか。

後者なら、「女」はかなり情緒が激しく、しかもそれを隠し持っていることになる。少なくとも「私」が「女」を認識したのは十年も二十年も前の話だろうから、えらく長い時間「女」は一方的な感情を抱き続けていたのか。

どちらでもないなら、ただ幻想世界が襲ってきたということか。ここまで書いてきてなんだが、結局それが一番落ち着く結論である。というのも、「「紫女」とは「狐が化けた女」のこと」だそうだから。「私」も読者も、内田百閒さんの被害者なのかもしれない。

https://www.ndsu.ac.jp/blog/article/index.php?c=blog_view&pk=1588224472e7e2405e6e48bd84bd2cf1d6183689f5&category=&category2=

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA