平野啓一郎「ハワイに捜しに来た男」『透明な迷宮』

平野啓一郎「ハワイに捜しに来た男」『透明な迷宮』


Kindle版¥515、文庫版¥572(2021/04/19現在)

平野さん、またです。また、人を人たらしめる要素がぐちゃぐちゃになってます。

またもネタバレありきで、少し考えてみる。

まずは「捜す」と「探す」の違い。NHKのホームページに表記があった。

一般に「無くしたもの」「見えなくなったもの」や「居なくなった人」などを「さがす」場合には、「捜す」です。「紛失物を〜」「行方不明者を〜」また、「欲しいもの」や「見つけたいもの」を「さがす」場合には、「探す」を用います。「職を〜」「他人のあらを〜」

https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/158.html

ハワイに「何を」捜しにきたのかはすぐに明かされるわけだが、たしかに「捜す」のほうでよさそうだ。しかし、込められる意味は終盤に変わると思う。最初は奇妙な人さがしとして瓜二つの人を探していたので、「居なくなった人」を捜している。終盤は主人公が自分の錯乱に気づき、自分が依頼されたのではなく、依頼した側なのではないかと思い当たる。そして私は本当は二人なんて存在せず、二人で一人、あるいは主人公が幻想を生んでいると考える。よって「無くしたもの」・「見えなくなったもの」へ意味が変わったものと思う。繰り返し起こっていたデジャブもきっと本当に見たことがあったのであり、「くだらない妄想」(39頁)なんかじゃない。冒頭は盛大なフラグだったのではなかろうか。

それと言及しておきたいのはドッペルゲンガーのこと。ドッペルゲンガーは「自分とそっくりの姿をした分身。自己像幻視」で、自分の幻覚であることもあれば、分身が別の場所に現れることもあるそう。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/ドッペルゲンガー/

「この二重身の出現は、その人物の「死の前兆」と信じられた」「18世紀末から20世紀にかけて流行したゴシック小説作家にとって、死や災難の前兆であるドッペルゲンガーは魅力的な題材」だった。(Wikipedia情報だけれども)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ドッペルゲンガー

この男がもし、ドッペルゲンガーに気付きそうになっているのなら。時間差で「死の前兆」が効いてくるのではないかと思うのである。恐ろしい話だが。

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